ついに、先日、最終出勤が終了。
そして、無職となった私。
唐突な書き出しですが、今後の不安を紛らわす為、
今、必死に文章を捻り出しキーボードを叩いている次第。
立派な『大人』であれば、働きながらも、時間を上手く管理し、同時進行で転職活動を行う。
そして次が決まってから退職をするというもの。
しかし私は立派とは程遠い人間の為、先に退職を決意。
今後の人生はどうなる事やら‥
お題にもさせていただいた『働く』とは。
自身が生きる為にお金を稼ぐ事。
それとも、楽しいと思える仕事に幸運にも出会い、労働の喜びを感じる事。
子供を、家族を養う事。
などなど。
私には知恵の欠片もない有様ですので、AIにも聞いてみる事にしました。
するとこんな立派な答えが。
(働くとは、お金を稼ぐだけではなく、自己表現や社会貢献など、様々な意味を持つ活動。生活を維持するための手段であると同時に、自己成長や他者とのつながりを生み出す源泉とも言えるとの事。だそうです)
‥
‥‥
惰性な私には、どうもしっくり来ず。
しかしながら、世の中には、様々な理由で働かれている方がおられ、私などからすれば、労働されている全ての方々は紛れもなく素敵だと存じております。
これまでの人生、それなりに転職もしましたが、労働してきたつもりです。
ありがたい事に、マネージメントなども経験させていただいたりも。
でも、何かと耐え凌ぐ事の方が多かった‥
楽しいと思えた事って、ほんの少し。
私は、生きる為にお金を稼ぐという意味での『働く』をしてきたのだと思います。
それはやはり消耗するわけで‥
フランスの哲学者、アランという方が書かれた『幸福論』という本がございます。
その中身には、『自分の畑を耕せ』『他人の畑を耕してはいけない』という言葉が。
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(AIによるアランの簡単な説明となります→エミール=オーギュスト・シャルティエという20世紀を代表するフランスの哲学者。中でも『幸福論』は、日常的な事柄を例に、感情に左右されず前向きに生きるための指針を示す実践的な人生哲学として日本でも広く親しまれている。)
最近になり、私は人の畑を耕してしまう事が多かったのかなと‥
振り返ると、そんな気がしてしまう。
だから、次、『働く』時には、自分の畑を耕す。
その覚悟が出来る迄、ほんの少しだけ、無職を満喫してやろうという、良い歳をしたおっさんでございます。
そういえば、先日YouTubeで東出昌大さんという俳優さんのインタビューの映像を拝見しました。
その中で、
『生きている意味、仕事をする意味、あらゆる事に意味はないと思っている。
死ぬまでの暇つぶし。』
こちらの考え方、何か、私は凄く腑に落ちたような気がするなぁと、そんな事を感じ、またいつもながら物思いにふけっております。
本日も、私のこのような中身の無い、稚拙な文章を見つけて下さった方、お読みいただいた方、ありがとうございます。
明後日からは現実逃避の旅へ。
しかし現在、準備は全くしておらず‥
いけるのか、やれるのか。
旅の思い出として、旅先からも日記代わりに書きたいなぁ。
忘れなければ‥
それではまた。
